人文系私設図書館 Lucha Libro

青い木 桜の絵 つぼみの絵

「生活をたて直す」ことについて

 東吉野村での生活も一年が過ぎました。木々に囲まれた平屋に住み、常に川の流れる音が耳に入ってきます。大雨の日には家の前はぬかるみ、もう一本川が出来ます。蜘蛛は一晩で巣をつくるし、家のなかを行列する蟻は「どいてくれろ」と大きな音を出すと、いつのまにかいなくなっています。

 この六月で人文系私設図書館Lucha Libroは開館一周年を迎えます。主に移住者の仲間や神戸の仲間、会えばすぐ仲良くなってしまうような方々とのご縁に恵まれた一年でした。ありきたりかもしれませんが、ぼくたちが誰に頼まれたわけでもないのに山村で図書館を運営しているわけは、この「出会い」のためにあります。

 また館名に「人文系」と銘打っているのは、「人間の文化」について一から考え直したいという想いを込めているからです。本館には確かに歴史や文学、思想といった「人文学」に分類される蔵書が多いのですが、分類記号で本を集めているわけではありません。どうやら身体や大地をベースにして「土着的に」生きるための書物を、ぼくたちが勝手に「人文系」と呼んでいるふしがあります。

 ではLucha Libroの提唱する「人文系」とはなにか。例えば、民俗学者の宮本常一氏の文章がそのヒントになりそうです。ちょっと長いですが、引用します。

 山中の人びとの生活を記録したものはいたって少ない。しかし以上のようなわずかな例からしても山中の民は平地の民とはその生活のたて方がずいぶん大きく違っていたことを知る。しかもそれは山中であるが故に文化的におくれていたのではなく、生活のたて方そのものが違っていたと見るべきである。まず第一にこの仲間がかならずしも稲作をとり入れることに熱心ではなかったということである。本気になって水田耕作を求めるならばある程度までそれが可能であったと思われることは長野県下伊那郡坂部の例が物語ってくれる。坂部にかぎらず、そういう例は少なくない。したがって過去に稲作の経験をもっているならば、山中に入っても大なり小なり稲作へのこころみをしているであろうが、その努力を焼畑集落ではほとんど見ることができない。つまり焼畑集落はその最初から焼畑をおこなっており、しかもさらに古くは狩猟を重要な生活手段としていたと見られるのである。

 そこで少しとっぴな想定であるけれども、縄文式文化人がやがて稲作文化をとりいれて弥生式文化を生み出していったとするならば、それはすべての縄文式文化人が稲作文化の洗礼をうけたのではなく、山中に住む者は稲作技術を持たないままに弥生式文化時代にも狩猟を主としつつ、山中または台地の上に生活をしつづけて来たと見られるのではないかと思う[i]

 現在の考古学研究において宮本氏のこの「とっぴな想定」が裏付けられたのか、もしくは一笑に付されているのかは問題ではありません。宮本氏の文章でぼくが重要だと思うのは、「稲作」のような時代の流れを決定づけるほどの「テクノロジー」であっても、それを選択しない自由があったのではないかということです。間違って欲しくないのは、別に狩猟が「土着的」で稲作は「土着的」ではないと言っているわけではありません。ただ稲作のほうが、「テクノロジー」を稼働させるための社会機構が複雑なものであることは確かだと思います。

 とにかく、身体や大地に根ざして生きるという生き方そのものをぼくは「土着的」と呼び、そこから生み出されたあらゆるものを「人文系」と呼んでいるようです。そして「土着的」に生み出され表現されたものは、進んでいるとか遅れているといった議論の俎上に載ることはあり得ません。

 時代は近代を経て、主に電化された日用品や我が身を守ってくれるはずの国家、社会のおかげで、有り難いことに日々のなかで自由な時間を持つことができています。でもその自由な時間をつくり出すために、川をぼんやり眺めたり、宇宙や蓑虫について家族や友だちとご飯を食べながら語らったりする、「真に自由な時間」が失われている。

 そして現代では、「生活のたて方」を選択する自由すら奪われている。しかしこれは現代に限った話ではなく、ある程度の規模の人びとが集中して暮らすべく「公共」という上位権力を作り出した、文明社会が始まって以降の問題だとも思っています。でもかつては、そこから「逃れる」人びともまた存在した。

 自分の身体や大地に根ざした形で「生活をたて直す」こと。もちろん「生活のたて方」は、お金をいくら稼げるか、文化的に進んでいるか、などといった尺度でのみ測られるものではありません。そもそも「生活をたてる」とはどういうことなのか。そのことについて、身体を通じて大地の声に心を傾けながら、書物にお伺いをたてる。人文系私設図書館Lucha Libroは、このような「土着的」な経験を共有できる場でありたいと切に祈っております。

[i] 宮本常一『山に生きる人びと』河出文庫、2011(原著は1964年)