人文系私設図書館 Lucha Libro

桜の絵 つぼみの絵

ぼくはそれをクリエイティビティと呼ぶ

 先日、人文系私設図書館Lucha Libro(以下ルチャ・リブロ)の開館一周年記念として、土着人類学研究会に現代思想家の内田樹先生においでいただきました。内田先生は図書館開館にあたり本棚を寄贈してくださったり、そもそもぼくがルチャ・リブロをつくろうと思ったきっかけを与えていただいた方です。恐れ多くも研究会では、内田先生とぼくが「対談」という形でお話させていただきました。その模様は「オムライスラヂオ」でお聞きください。実際には「対談」というよりも、ぼくが内田先生に質問して「お知恵を授か」っておりますけれど。

 そこでは「とりあえず、10年後の地方」について、内田先生にお聞きしました。ぼくの関心として、中心と周縁、上と下、優位と劣位など、常に対立的に語られる都市と地方の関係のなかで、常に「なにもない」とされる「地方」に、いま一部の若者の関心が向いているのはなぜか。そしてそんな「地方」に生きる人々が、人口が減少し経済が縮小していく社会のなかで、いかにして生きていけば良いのかについて考え、みんなで話し合いたいという想いがありました。

 土着人類学研究会の今年のテーマとなっている「とりあえず、10年後」の、「とりあえず」には、肩の力を抜いて「ぼんやりとちょっと先を見据える」という意味が込められています。目の前の道に捨ててあるゴミや、週明けから始まる仕事に心を支配されるのではなく、はっきりとは見えない、でも鳴き声だけは聞こえるような、少し向うの木々に止まっているであろう鳥を確かめるようなまなざし。「ぼんやりとちょっと先を見据える」感覚は、それに近い。

 以前ぼくは、「なにもない」とされる「地方」で生きることについて、『雛形』さんでこのように述べていました。

 僕は、作家ではないし、場所を選ぶ仕事をしてきました。教育にしろ文化的なことにしろ、人がいる場所、つまり都市部でしかできない仕事なんです。でも、村には文化的拠点もないし、そもそも人が少ない。でも、多くのものが“ない”、不自由だといわれる場所だからこそ、できることもあるんじゃないかと思う。僕が趣味で続けている合気道もそうなんですが、相手がいて型があることで、反対に自由になれることってあるんですね。以前、体を壊したことがあるのですが、それからはあれもこれも何でもできると思っていたことができなくなりました。けれど、自分の“不可能性”を知ったことで、今度は違うレイヤーで物事が見えてくる。そうすると、別の視点で考えることができるんです。できないことを知ることは、新しい可能性を手に入れることでもある。そう考えられるようになったら、ラクになったし、自由になれました[i](下線は著者)

 「ないからこそできる」というように、「不在」に意味を見出せたのは内田先生の影響が非常に大きかったと思いますが、ぼくの専門としているフェニキア人の研究も大きく関連しています。フェニキア人自身が残した史料は非常に少ないのですが、イタリアやチュニジアなど実際に現地に行ってみると、土器やアクセサリーといった考古学的資料は数多く存在する。また当時彼らが暮らした「場所」は、川の流れが変わってしまったり、土砂で地形が変わってしまったりしているものの、今もなお存在し続けています。ただそれらは「言葉」としては残っていない。

 言語ではないもの、言語として表すことが難しいものでも、「ないわけではない」。つまりこの場合の「不在」とは「まったく存在しない」ということではなく、大多数の人は知覚できない、世の中の価値観では測れない程度のことなのではないでしょうか。みんなには見えなくても、感じられなくても、そこに「あるものがある」ことが分かる自分がいる。そしてこの経験は、「なにもない場所」にいた方ができる蓋然性は高まる。

 「地方」における可能性は、「なにもない」ことです。しかしその「不在」は「まったく存在しない」わけではなく、「まだ存在が示されていないだけ」なのです。未来は「戦略」などという形でガチッと表せるものではなく、ぼんやりしたときたまに感じるふわっとしたもの。いつも見えるわけではないけれど、自分には「ある」ことがなんとなく分かる。そんな「ない」と「ある」の間にいる自分が架け橋となって、みんなが見たり触ったりできるようにすること。その能力をぼくは「クリエイティビティ」と呼び、それを発露させるための「仕組み」について、「なにもない場所」でぼんやり構想中なのであります。

[i] 『雛形』https://www.hinagata-mag.com/comehere/8271