ちゃぶ台の上のメモから①:「始原の場所」
ブログで文章を書くのを再開します。
といっても長文ではなく、簡単なものを。完全ではない、断片的なものを。
「ちゃぶ台の上のメモから」と名付けて、キュレーターと司書が、往復書簡のような形で時々書いていきます。
図書館は「成長する有機体」と言われるけれど、ルチャ・リブロは「成長したりしなかったりする」有機体を名乗っています。というか、有機体は成長したりしなかったりするのが自然で、当たり前です。その当たり前からスタートしたい。それが僕の言う「土着」です。始原の場所までいったん立ち戻ることで、僕たちは言葉を「自給」することができる。
では「始原の場所」とはどんなところでしょう。あまり難しく考えてはいません。雨が降ったらぬかるみ、晴天が続けば干上がる地面。陽当たり、湿度によって、育つ作物、育たぬ植物。季節に応じて変化する暮らし。周りも変わるし、自分も変わる。あなたが動けば、見える景色も自ずと異なるものになる。家の中だって、寝る場所は一つじゃなくてもいいじゃないか。僕にとっては、そんな風に感じられるところが「始原の場所」。
「人間の知性はすべて、感情とつながっているのです。
倫理とは、人間に関する事柄です。人間は傷つきやすく、また死を避けられない動物で、人生の時間は有限です。同じように人間の考える概念も、環境によって影響を受けやすい、脆弱なものです。それも私たちが動物だからです。
こんなふうに、感情というものを話の全体像のなかに置くことができます。しかし、だからといって、人間が論理的に考えることができない、という意味ではありません。理性と感情は対置すべきもの、相容れないものではありません。理性と感情は、基本的に同一物なのです。」(マルクス・ガブリエル、マイケル・ハート、ポール・メイソン著、斎藤幸平編『未来への大分岐』集英社新書、2019年、218頁)
人間にとって、「理性と感情は基本的に同一物」だと哲学者のマルクス・ガブリエルは言っています。理性が勝ったり、感情に押し流されたり。人間ってそんなもんじゃないか。そんな心持ちになれる場所があったなら、そこがあなたにとっての「始原の場所」かもしれません。
(青木真兵)
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